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リレバン機能強化でのビジネスモデルの抜本的な変革とは

地域金融機関の役割は「コア業務としての預貸取引のみにこだわらず、それらと関連したコンサルティング機能、ビジネス・マッチング機能等をも兼ね備えたより総合的な金融サービス取引を行うことを通じて顧客に付加価値を提供し、手数料収入を得るというビジネスモデルは、コミットメントコストを負担する宿命にある中小・地域金融機関がリレーションシップバンキングの質的向上、顧客との取引内容の明確化等を図りつつ、収益性の向上を図っていくための取組みとして評価できるものである」と「リレーションシップバンキングの機能強化に向けて」に記されている。

言い換えれば「預貸業務以外でも稼げて、リレバンの質を高められるような方法はあるのだから、やってみなさい」といわれていると解釈できる。つまるところ、現行のビジネスモデルの弥縫策ではなく、資金仲介業務ではない新しいビジネスモデルの追加が検討された(旧アクションプログラム発出当時。後述のとおり、その後新しい業務が追加された)ことが示すように、リレバン機能強化ではビジネスモデルの抜本的な変革が指示されたことになる。「いままでのビジネスモデルではガバナンスも弱く、大手行のような財務上の結果も出せなかったのだから、いままで固執し続けたビジネスモデルそのものに問題の根がある」ということだ。

ところが、そこまで求められていたにもかかわらず、本部主導で現場の関与も小さく、本質さえも理解できず、「いままでやってきたことをこれからもやればよい」といった誤解まで横行した態であり、ビジネスモデル変革にはほど遠かったといえる。なかには、変わらなければならないというリレバン機能強化のそもそものメッセージを正確かつ十分に理解しつつも、変われない現実に内心恨促たる思いで集中改善期間を過ごした地域金融機関の行職員もいるだろう。むしろ、「わかっていても変わる余裕がなかった」というのが現場の本音ではないだろうか。しかし、この余裕のなさは人員不足だけを理由とするものではない。

実は二〇〇〇年度以後、銀行業を取り囲む環境が大きく変わってきていた。集中改善期間にはその変化がボディーブローとして効き始めたのである。環境が厳しくなれば余裕もなくなる。事業性資金の需要は悪化して長い。日本銀行が公表している資金循環分析では、政府や民間非金融部門(いわゆる事業会社)や家計といった主体別の資金過不足額が示され、それぞれの主体において、住宅資金や投資信託などの金融資産別の需要額なども見積もることができる。

リレバンこそ金融庁発のビジネスモデル変革指令

地域金融機関ではガバナンスにおいて大手行並みの進展がみられなかったことも問題を引き起こした。結果として、未上場の一部のオーナー系第二地方銀行で暴走が発生した。自己資本比率が四%を下回らなければつぶれないというルールのなかで、常軌を逸した手法での増資が繰り返されてしまったのだ。十分な説明もなされないまま、預金を出資に振り替えるというものである。そのような行動をもたらしたもともとの原因はオーナー頭取の独断による地域外の問題先への情実融資であった。オーナー系第二地方銀行のなかには県外貸出比率が五〇%を超えるところもあった。そもそも地域金融機関という姿ではなかったのだ。

こうした地域金融機関の行員が退職後に内部告発した本からは、風通しの悪さがいたるところにみてとれる。悪あがきの末、結局は破綻していったが、金融庁の地域金融機関に対する印象を悪くするという結果をもたらした。すなわち「地域金融機関は大手行と異なり、ガバナンスが弱く、市場からの規律づけが働きにくく、自己資本比率のみでの監督は不可能である」と。すぐに「事務ガイドライン」の修正で増資に関して厳しいルールが設定され、旧アクションプログラムのなかでも、未上場の地方銀行や協同組織金融機関に対して、情報開示の充実と総代会の機能向上策が求められた。またオーナー経営者などの暴走を防ぐために経営者に金融庁から直接的なヒアリングも行われるようになった。

地域金融機関は、変わらなかった結果として、収益性を失い、ガバナンスについて金融庁からあらぬ嫌疑をかけられることになったのだ。ただし、「変われ」といわれても、地域金融機関は大手行と同じようには変わることができない事情がある。不良債権のオフバランス化には限界があったり、地方銀行の株式がアナリストレポートの対象になっていないなどの制約の多さからガバナンス強化そのものに徒労感が伴ったりするからだ。そんな袋小路に迷い込んだ地域金融機関に対し、「金融検査マニュアル」が制定されて以後、金融庁は手取り足取り指導してくれることはなくなっている。「変われ。ついては変わり方も地域金融機関が独力で考えろ」という趣旨なのだろうか。そうではない。

実はリレバン機能強化は地域金融機関が変わるためのロードマップの役割を果たしている。この時代に金融庁が珍しくロードマップを渡し、行政介入ぎりぎりで背中を押したように思えた。その証拠は随所にみられる。まず、リレバンそのものが地域金融機関を適切な担い手としたビジネスモデルとされている点だ。リレバンを抽象的な理念とかスローガンではなく、具体的なビジネスモデルそのものといっているのである。ビジネスモデルとは「儲けを生み出す具体的な仕組みのこと」すなわち「事業運営」を指す。要は「地域金融機関はリレバンによって事業運営をすべきだが、いまは不十分である」とされているのだ。

地域金融機関の迷走

大手行と同じ期間(一九九七年以後)における地域金融機関のROAの変化を測定すると、ばらつきがみられた。コア業務粗利ベースの増減幅とコア業務純益ベースのそれで大手行同様の改善がみられたのは公的資金の注入を受けた地域金融機関であり、第二地方銀行でも半数程度に改善がみられた。ところが地方銀行においては三分の二が両方とも悪化していた。しかもその三分の二をみると、経済誌などで発表される地方銀行ランキングでつねに上位を占める銀行が名を連ねていたのだ。驚きの結果であった。それらの地方銀行は自己資本比率が高く、健全性は申し分ない。地方銀行ランキングでは自己資本比率などが重視されるため、こうした結果になったのだろう。

しかし、「自己資本比率が高い=収益性が高い」とは限らない。二〇〇三年度決算ベースでみれば、むしろ負の相関がみられる。自己資本比率が高いほど収益性が低い傾向にある。当時は(いまもそうかもしれないが)、「まずは高い自己資本比率」が地域金融機関の悲願であり、地方銀行ランキングの上位を占める地方銀行では、健全性を高めることに専念した結果、収益性は落ちていったと考えられる。こうした地方銀行の業績評価では協会保証付融資の残高目標の配点が大きく、収益性の高いプロパー融資の協会保証付融資への切替えを許容していることも多い。リスクウェイトが一〇%の協会保証付融資を増やせば自己資本比率は改善するが、保証料相当分の得べかりし利益の喪失が発生し、収益性など上がろうはずもない。

業績評価において収益性指標のウェイトが小さければ(最悪は評価がなければ)、現場は嬉々としてプロパー融資の協会保証付融資への切替えを推進してしまう。一九九〇年代後半の貸し渋りの時代には、こうしたことが大手行などで非正常先を対象として悪意をもって行われ、協会保証制度を悪用した自己資本比率のかさ上げ対策として問題になった。一方で地域金融機関は、十分に高い自己資本比率を前提に、正常先でも懸命に切り替えるため、悪意も感じられず、むしろ一途さすら感じてしまう。そしてこうした地域金融機関の特徴は、バケツにためておいた水(有価証券の含み益)でこの収益性低下を補てんし続けていることにもあった。

有価証券の含み益は国内基準行であれば、自己資本比率を悪化させることにはならず、自己資本比率を変えずに利益を捻出できる魔法の杖のようなものであった。健全性の高い一部の地方銀行には、魔法の杖への過剰なまでの依存から、保有債券のうち高クーポンのものが売却により姿を消し、有価証券ポートフォリオに占める株式の割合が高くなっているところも少なくない。その結果、二〇〇二年度末の日経平均八〇〇〇円台のときには減損処理を余儀なくされたところもある。自己資本比率こそ高いものの、減損処理などの突発的損失を発生しやすくするなど、その実態は決して健全とはいえない状態の地方銀行が多かったといえる。

リレバン機能強化が始まる前の地域金融機関

翻ってリレバン機能強化が始まる前の地域金融機関はどうだったか。いまでこそ大手行に比して不良債権が少ないとはいわれなくなったが、それまでの地域金融機関では不良債権処理に対する取組みによる負担は比較的軽微ですんでいたところが多かった。不良債権が多い地域金融機関では公的資金注入などが行われ、大手行同様大きな変化がみられたものの、それ以外の地域金融機関では資金需要の低迷が最大の懸念事項であったようだ。干ばつ(資金需要低迷)に見舞われている状態にもかかわらず、雨乞いの踊りをするわけでもなく、バケツにためてきた水(有価証券の含み益など)を少しずつ飲みながら、じっと雨が降るのを待っているような地域金融機関が圧倒的多数であった。

わたしが当時地域金融機関の経営陣と話して感じたのも、景気循環を待つがごとく、徳川家康風に「ないのなら、出るまで待とう、資金需要」といった考え方をする人が多いということだった。当時はまだ有価証券含み益に余裕があったからこその考えだったのかもしれない。バケツにためてきた水のおかげで、地域金融機関は表面的には大手行と異なり、健康体とみなされていた。それが原因か定かではないが、金融ビッグバンも凪の如しと、水面下での変化もこれといったものはなかった。収益管理では、以前とさほど変わらない残高・件数を中心とした管理方法が続いた。業績評価も貸出や預かり資産、協会保証付融資などの残高目標と取引基盤の件数目標と事務ミスの減点項目の大きく三つにより構成され、それ以外はそのときどきのキャンペーン項目が加えられる程度である。

一〇~二〇年前と基本は変わっていない。ガバナンスもあまり変わりがない。執行役員制度は取り入れられていったが、経営と執行の分離という制度本来の趣旨とは若干異なるものだった。地元での株式の持合いは続いており、東証株価指数(TOPIX)が発行済株式数をペースとした時価総額指標から持合いなどを除いた浮動株数ベースの時価総額指標に移行すると発表されてから、株式持合いの多い地方銀行株は売り圧力が強くなっている。いまだに株式持合いが続く地方銀行業界を特徴づけた現象といえよう。人員削減や賃金カットは、その度合いは大手行に比べればまだ手ぬるいが、地域金融機関ではしばしば便利な使われ方をしている。

資産査定の検査が入り、与信費用が急増した場合などには、場当たり的であるが株主価値維持のために大胆な賃金カットが行われる。この大胆な賃金カットは大手行も同じである。しかし、地域金融機関ではそうした事態に陥らなくても、減少し続ける資金利益に比例するように、小幅の賃金カットが恒常的に行われていた。場当たり的、小出しの賃金カットの繰返しは、経営施策としてほめられるものではない。賃金をカットされる側にとっても、打止め感のない賃金カットほど酷なものはない。こうしたことが可能なのは、地域金融機関の立脚する基盤はそのほとんどが生活コストの少ない地方にあるからと思われる。地域金融機関の経営陣が、あたかも無限の賃金カットが可能という錯覚に陥った可能性も否定できない。

地域金融機関の本質的な課題

集中改善期間の評価として、取組みは行ったといえるものの、財務上の効果など成果は十分とはいえなかった。本部の独善で現場の関与が小さかったことも問題であるが、本質が理解されなかったのでは結果も出るはずはなかった。本質を理解するうえで、リレバン機能強化のそもそもの意図は何かを明らかにすることは重要であろう。リレバン機能強化は収益力や財務体力の改善をもたらすものとの解釈も可能であると述べたが、金融庁はなぜそうしたことを地域金融機関に求めなければならなかったのか。結論からいうと、変わらなくてはならないにもかかわらず変わっていないという、地域金融機関の姿にその理由はあったと思われる。

都市銀行など大手行の一九九〇年代後半における変わり具合はすさまじかった。底なし沼のような不良債権処理の連続で体力を失い、自己資本比率維持のために貸し渋りという前代未聞の資産圧縮策を余儀なくされ、さらに巨額の公的資金の注入を受けるに至り、経営の自由度を失った。それまでは世界を相手に勝負しようと海外展開も華やかであったが、これも縮小せざるをえなくなった。また相次ぐ合併再編で二〇行以上あった大手行はメガバンクなどとして四グループ、都市銀行七行に集約されてしまった。ただし、これらは大手行の表面的な変化だ。水面下でも大きな変化があったことは見逃せない。

株式持合い解消の動きから、白紙委任状やシャンシャン総会に代表されるそれまでの安易な資本政策はとれなくなり、本格的な株主重視経営に着手し始めた。いわゆるガバナンスの強化である。執行役員制度や社外取締役の登用も行われるようになった。大手行には実際に口うるさい社外取締役が存在する。多額の与信費用を捻出するためにも、さらに公的資金注入行では経営改善計画を達成するためにも、収益力の改善は急務であり、人員削減や賃金カットが行われた。いまや大手行には年末調整の対象から外れる(年収二〇〇〇万円以占行員が経営陣を含めても数人しかいなくなったというところもあるとのことだ。収益力改善のために収益管理態勢の強化も行われた。

リスク調整後収益による収益管理は大手行では常識になっており、それをペースに現場をコントロールする業績評価もドラスティックな変化を遂げた。クレジットカードなど取引基盤項目の推進強化はトーンを弱め、残高や件数中心の業績評価から、リスク調整後収益中心の業績評価へ変わった。当然ながら現場も以前のような楽はできなくなった。ランクダウンなどが発生するとリスク調整後収益が減るため、貸出金利の引上げ交渉を行い、それがだめならデリバティブ販売で採算確保をねらう。場合によっては回収という手段も辞さないこともあったようだ。

私募債なども発行時にまとまった手数料が入ってくるので、期間損益の乏しい低スプレッド融資からの切替えなどにも使われた。たいした給与も払っていない行員、少ない行員を無駄なく動かすために厳しいムチを振るったのだ。その結果として、金融ビッグバン(一九九七年)以後の大手行のROA(総資産利益率)はコア業務粗利益ベースでもコア業務純益ペースでも大きく改善した。粗利も増やし、経費も削ったという申し分のない結果であった。不良債権処理は金融再生プログラムを待たなければならなかったが、不良債権以外では相当筋肉質な経営になっており、飛躍に向けた土壌は十分にできあかっていた。

危機意識に欠ける理由を零細企業側だけに求めてはならない

地域金融機関はこうした家族経営的零細企業に対しても貸出を行っていかなければならない。そのうえ、業況が苦しくなれば、会社然とした取引先と同様の借手の義務を履行してもらわなければならない事態が発生する。DESやDDSはできなくても、キャッシュフローを改善したり、不良資産を処分したりすることで、借手は返済能力を地道に高めていかなければならない。これが借手の義務である。ところが、この借手の義務が家族経営的零細企業においては希薄なのではないか。本来であれば借手は、貸手である地域金融機関にいわれなくとも、自助努力で義務を履行すべきものである。

手形や金銭消費貸借契約書に記名し押印する以上、いくら親密であっても許されないことはある。リレバン機能強化以前に、そのことを家族経営的零細企業に周知させる努力が現場においても必要ではないか。いままでは家族経営的零細企業でも会社然とした企業と同様に地域金融機関から資金調達ができただろう。ただし、それは地域金融機関がリスクをとっていた結果にすぎない。もっとも、地域金融機関がこうしたレベルの企業に手間暇かけた事業再生のアプローチをとるということは、こうなるまでの過程でもちつもたれつの関係にあったことが推察される。

地域金融機関側も過去において、業績目標を達成するために、こうした家族経営的零細企業に世話になっていたのだろう。いわば家族付き合いのようなものだ。地域金融機関にしてみれば、家族経営的零細企業に対する貸出はこうした企業に付与した、借手の義務を伴う権利のはずだった。しかし、そうした企業はいつしか対価として与えられていた権利を当然のものであるかのように錯覚し始めたのではないか。「苦しくなったときは家族同然の地域金融機関がなんとかしてくれるから、ファイナンスや資金繰りなどのむずかしいことは考えずに、営業だけきちんとやればよい(最悪は何もしなくてよい)」といったように、義務もはき違えるようになってきたのではないだろうか。

そのうえ、家族経営的零細企業はコンサルティングを受けたり、外部資本を受け入れたりするなど、経営の自由度を失うことについては徹底して嫌がる。過去の経緯があるとはいえ、地域金融機関にとっては手に負えない相手といえるだろう。繰返しになるが、こうした企業に資金を貸し出すことは地域金融機関にとってやむをえないリスク、いわばコストである。このコストも信用リスク同様、きちんと管理していかなければならない。その方法が借手としての義務を周知させることといえる。

事実、旧アクションプログラムのなかに、「顧客への説明態勢の整備」があげられている。ここでは、貸付・保証契約内容等の債務者にとっての重要事項の説明が求められている。しかし、家族経営的零細企業に対しては、「借手としての義務」も含めた説明が求められていると考えることもできる。本来なら旧アクションプログラムでそこまで指摘されなければならなかった取組項目といえるかもしれない。再生を要する取引先はたしかに危機意識が足りなかったかもしれない。しかし、その理由はその取引先自身だけによるものとは限らない。地域金融機関にも問題はなかったか、よく考える必要がある。

危機意識に欠ける零細企業

年商が一〇億円程度あれば、少しは会社らしくもあり、経営者もそれなりの責任をもった行動をとる。一億~二億円程度の年商であれば、会社という姿にはほど遠く、経営陣もいわゆる父ちゃん社長・母ちゃん専務・兄ちゃん常務といった三ちゃん経営が多くなる。ところが、地域金融機関ではそうした企業も貸出という資金運用の対象にせざるをえないのが現実だ。さもなければ預貸率はさらに下がってしまい、苦しい経営を地域金融機関自身が強いられることになるからだ。

別の言い方をすれば、三ちゃん経営の家族経営的零細企業にも貸し出すというリスクをとらなければ地域金融機関の経営は成り立たないということだ。そのような経営者や企業にとって、リレバン機能強化にあげられた再生ファンド、DIPファイナンスやDES(デット・エクイティ・スワップ)、DDS(デット・デット・スワップ)といった再生手法はいささか高尚にすぎる。再生ファンドの活用は代表者以外の株主が生まれることを意味しており、「株主=代表者」という状態を維持できなくなることについて取引先側に強い嫌悪感が働く。

DESやDDSやDIPファイナンスは法律をベースに自己資本や債務に優先劣後構造を導入するもので、そもそもわかりにくく、家族経営的零細企業の経営者はそれによってカネが借りられるかもしれないとしか思わないだろう。私的整理についても、家族経営的零細企業は一定規模以上の企業とはとらえ方がまったく異なる。減資や経営陣退任など私的整理企業の義務などはそっちのけで、借金棒引きにばかり目がいく。現場でこんなことをいわれた諸氏も少なくないのではないだろうか。「新聞でみたら、お宅(地域金融機関)は債権放棄をしたらしいけど、ウチにもぜひやってくれないかなあ(笑)」と。

地域金融機関から金融庁宛に提出された「リレーションシップバンキングの機能強化計画」の進捗状況報告において、これらの再生手法について「対象なし」とか「検討中」といったコメントが並ぶ地域金融機関が多かったことが、こうした現実を示すよい証拠である。決して地域金融機関がやる気に欠けたからではない。リレーションシップバンキングのあり方に関するワーキンググループのメンバーには「地域金融機関にも都市銀行同様に会社然とした要再生先が多く存在する」と考えた委員がいたのかもしれない。そうした委員は地域金融機関の現場などみたことがなかったにちがいない。